2011/08/29
2011/08/27
2011/08/26
2011/08/22
地元再発見
午後から初めて地元の区立資料館に行ってきました。電車でもいけますが、今回はコミュニティバスに乗りました。ノロノロと自転車くらいのスピードで脇道をよって行くので時間がかかるかかる。自宅から駅を挟んで反対側なのに目新しい風景に全然違う場所にきたよう。旧街道を行くのも面白いです。
私は成人してから東京へ来たので、普通は小学校や中学校で習う地元の歴史(地理)が丸ごと抜けています。それを今になって頭の中につけたしている感じ。関西と違って関東は風景も違いますからねー。
東京は戦災の前に関東大震災で一度様子が変わっています。郊外というより川向こうの田舎だったこのあたりは、焼け出された職人達が豊富な水を求めてやってきたり、町工場が沢山できたりと今でも続く地場産業を作っていきます。大正時代まで自宅の近くに造り酒屋があったというのも驚きでした。
古代からの地形の変化、歴史、変わっていく産業、人の動き。今の風景も昔から続く理由があっての事というのがわかります。たまにはこうして自分の足下を見てみるのも面白いです。←気分はすっかり小学校の自由研究
2011/08/21
日本美術にみる「橋」ものがたり@三井記念美術館
20日。三井記念美術館の夏の展示はテーマが面白くて毎年楽しみにしています。今年は「橋」。日本橋が今の橋に架け替えられて100年になるのを記念しての展覧会。様々な美術品に描かれた(取り入れられた)橋をみていきます。
興味深く見たのは最初の、工芸品の意匠にみる橋のコーナーで、茶道具や文箱、貝合わせの貝をしまう蒔絵の入れ物などなど、美しく、そこに小さな世界がとじ込められているようで、見飽きる事がありません。源氏物語や伊勢物語など、古典に題材を取ったものは、嫁入り道具のいいアイテムになったのだろうし、いくつか出ていた志野茶碗も、同じようなデザインなのに、それぞれ銘が違っていて、その時の受け止め方でどういう風にも見られるというのも面白かったです。高校の時、もっとまじめに古文の授業を受けておけばよかったなー。
「諸国の橋」は、浮世絵などに描かれた各地の橋を紹介していて、ちょっとした旅行気分にひたれます。違う方向から見た同じ橋を並べて展示したり、船橋(船を沢山並べてその上に板を渡して仮の橋としたもの)の様子がよくわかる絵があったりと見入ってしまいました。大阪の鳥瞰図も面白かったなー。上町大地から大阪湾を望む視点で、南は天王寺から住吉神社を通って堺へいたる街道筋、中央部分には格子状に堀があり、屋根瓦がぎっしり。梅田新地やお初天神のあたりは田舎で薄暗く、京から淀を下るは落語の三十石船の舞台。おもしろーい。
また、宗教的なテーマの絵巻や掛け軸では、橋はあの世とこの世の境目、結界の象徴として描かれます。
大きな屏風は少し離れてみると立体感が出て、いいですねー。「柳橋水車図屏風」がとても気に入りました。
そんなこんなで2時間近くいました。うはー。疲れた。
次回は9月17日からは京蒔絵の展示です。これまた楽しみだわー。
2011/08/18
2011/08/16
久しぶりの大阪
土日で大阪の実家に帰ってきました。
まずは大改装中の大阪駅を探検。改札口が階上に出来て、ガラス張りのコンコースからは何本もの線路を見下ろすことが出来ます。駅の両側に出来た高層のデパートやショッピングセンターを渡すようにガラス張りの天井があって開放感があります。昔の茶色いふるーい大阪駅を覚えている身には別世界のよう。
JRと地下鉄を乗り継いで夕陽丘へ。父のお骨を納めている一心寺へお参り。ここは納骨したお骨で何年かに一度、骨仏を造ります。10年前に亡くなった父はもう仏さんになっています。なむあみだぶつ。
境内はすごい人出。若い人も多いです。東京ではあまりみない風景ではなかろうか。夫と二人分、お供え用のロウソクと線香を買い(100円)まずロウソクをお供えして次は香炉に線香を…と思ったら、香炉の中で線香が燃えたぎっていて、すごい事になっていました。「危険なので香炉に近寄らないように」という声が聞こえる中(香炉も熱で熱い)、みんな線香を投げ入れていました。すごい(笑)。お参りしていると香炉の熱で背中が焼けるようだ。
お参りしたあとは恵美須町まで歩きました。通天閣の近くです。私が大阪にいた頃は、この辺りは危ないので近寄らないものでしたが、今は違うのねー。観光地になっています。途中の喫茶店でお昼ごはん。やきめし(ピラフじゃないよ)を食べました。
恵美須町から阪堺線に乗りました。この駅から乗るのは初めてです。住吉で乗り換えて天王寺まで。市電もなくなった大阪にこんなチンチン電車が走っているなんて、ちょっと驚き。途中で乗り降りする人が多く、地元の足として使われているのがよくわかります。
電車は大阪の下町を走っていきます。少し前までは古い長屋をよく見かけましたが、さすがに耐用年数が過ぎているようで、どんどん建て直されていました。マンションも目立ちます。阪堺線は昔の映画によく出てきます。本町や淀屋橋あたりで働くサラリーマンが住む住宅地って感じ。成瀬巳喜男の「めし」もこのあたりではなかったかな。
一心寺から天王寺まで、歩けば15分くらいのところを、電車でぐるりと回っていきました。
天王寺からは阪和線、南海高野線と乗り継いで実家へ。
驚いたのはその途中の風景で、新しい道はできているわ、畑と町工場と竹林だけだった場所がちょっとしたニュータウンになっているわ、高層マンションは出来てるわ、介護付きマンションもいくつかわるわ、あまりの変貌ぶりにびっくり。こんなに住む人がいるのであろうか。特に高層マンションが増えましたねー。
実家では、母と義妹(弟は仕事で来られず)夫の4人で晩ごはん。東京から地ビールの詰め合わせを送っておいたので、それを開けて飲む飲む(^^)。初めて飲んだ「いわて蔵ビール」が私好みでおいしかったです。
2011/08/15
2011/08/13
2011/08/12
東北は広い。
先月末、新潟から会津地方を襲った大雨と洪水のニュースを見ていて、東北がどれだけ広いかわかっていない人が多いのではないかとふと思いました。
川が氾濫して洪水になっているという会津柳津からの中継で、辛坊キャスターが大雨の原発への影響をレポーターにきいているのを見て、隣りにいた夫と笑ってしまいました。レポーターも答えられませんでした。そりゃそうだよねぇ。同じ福島でも浜通と会津は場所が全然違う。阿武隈山地の向こう側だ。そもそも只見川は阿賀野川と合流しているので方向が逆やん。列車で移動するとしたら、いわきから郡山まで普通で1時間、郡山から会津若松まで1時間半。柳津はまだその先だ。
ニュースを読むなら、そのくらいの事は実感として知っていて欲しいなぁと思ったのであります。
今は新幹線が通って速くなったけど、盛岡から青森まで在来線で移動していた時は、特急に乗っていてもウンザリしました。乗っても乗っても岩手県、乗っても乗っても青森県。行けども行けども線路は続く(新幹線が走っていない頃は、どれだけ遠かったか)。盛岡から沿岸部は、北上山地を越えてその向こうだ。岩手県には、大阪府がいったいいくつ入るのだろう。
…というのは、私も東北を旅行するようになって初めて知ったことですが。
だから私は、同じ福島でも浜通で問題があったら会津もひっくるめてダメだというのは、少しいきすぎだと思うのです。大阪で問題があったら奈良も京都もまとめてダメ…なんてことはないでしょう?(たぶん)。
岩手も県南で問題があったから全部ダメというのはなぁ。一ノ関と二戸じゃ、同じ岩手県でも、京都と名古屋くらい離れているのではないですか。
ま、行政の単位が広いから仕方がないと言われればそれまでだけど、一つの県をせめて天気予報の単位くらいでとらえてもかまわないと思うのだけれど。
東北は広い。行った事がない人が想像している以上に広い。
放射能とか、いろいろな事に神経質になるのは仕方がないけれど、もちっと冷静に状況を見ることも必要なのではと思う昨今。
2011/08/10
会津に行きました。
お暑うございます。毎日会社にいくだけでヘロヘロ。仕事の前にシャワーをあびて一眠りしたいです。
人間の体はこんな蒸し暑い季節に、いつもと同じように仕事をするようにはできていないよーに思う。あづいー。
日曜日は夫の出張に付き合って会津に行ってきました。夫の仕事仲間、Yさんも一緒です。
郡山から磐越西線に乗って会津若松へ。磐梯山の雄大な姿はもちろんですが、眼下に会津の町が広がるところが一番好き。山、川。緑が眩しい田んぼ。その間を流れる疎水。強い日射し。清く正しい日本の夏の風景です。
会津若松から乗り換えて喜多方まで列車で行く予定でしたが、先日の大雨の影響で、臨時ダイヤで野沢までの折り返し。乗り継ぐ予定の列車が運休だったので、急きょ会津若松からレンタカーで移動です。
喜多方では、蔵の町を巡りました。街道沿いに立派な蔵が建ち並んでいます。明治から大正にかけて建てられ、店舗や住宅に使われています。規模は小さいですが、見応えはじゅうぶん。贅沢なものです。
町の中心から少し離れると、あたり一面に田んぼが広がります。青い空。入道雲。草いきれ。蝉時雨。木立に囲まれた古いお社では、夏休みの男の子たちが網を持って虫取りの最中。なんてすてきな風景。こういう景色の中にいると、放射能だとか何だとかいうのが遠い世界のように思えます。
その田んぼの中に突如として、レンガ造りの蔵が建ち並ぶ集落が出現します。アーチ形の窓のモダンな蔵が並んでいて日本ではないよう。
車で走っていて気が付いたのですが、蔵だけではなく、どの家も敷地が広く母屋も立派。「住む」ことにお金をかけ、大切にしていることがわかります。生活の中心なのですね。だから簡単にはその場所を離れられないのだなぁ。都会の人は、津波や原発で住めなくなったのなら、他の場所へ行けばいいと安易に思ってしまいがちだけど、そうはいかない。
会津若松に戻って、先日、玉椿の日本酒の会にいらした、宮泉銘醸さんに行きました。蔵の中を案内してもらいました。今年は、被災した宮城県の蔵が仕込みのために用意していた酒米を買い取って造りを続けたので、7月頃まで仕込んでいたそうです。
蔵の裏手には仮設住宅が並んでいました。木製の仮設住宅でした。
七日町の町並みも少し見てからレンタカーを返して駅へ。会津若松からのった「あいずライナー」は583系。夫大喜び。Yさん、訳わからず(笑)。
2011/08/07
2011/08/06
廃県置藩
一時に比べれば仕事は少し楽になったとはいえ、来週はあまり残業もできないし、月末には夏休みをとるし(2日だけど)、土日は仕事をしたくないので、今週はお仕事強化週間。へとへとですー。
日経の朝刊、文化欄に「8.15からの眼差し 震災5ヶ月」という連載があって、毎日興味深く読んでいます。戦中戦後の日本をみてきた人たちによる今回の震災後ってテーマ。共通しているのは、戦中も戦後も町中には妙な明るさがあったということ。それに比べて今は、このまま日本はどうなってしまうんだろうという不安、暗さを感じるということ。
深く傷ついた人の心、なかなか進まない復興、そこに追い打ちをかけるような原発事故。いろいろ理由はあるだろうけれど、私は5ヶ月だってもいまだ未来を見せることができない国家(政治)が一番責任重大じゃないかと思うのでありますよ。何のビジョンもないし、自分で考える能力もないし、かといって人心をつかむ力もないリーダーシップもない。国民を不安にさせるだけの政治っていうのは存在価値あるんですかねー。
いっそのこと、藩政にもどして連邦国家にした方がいいと思うんですけど、ダメ?…って夫に言ったら、
「廃県置藩って、誰かが言ってたなー」。
日経の記事では、5日の吉本隆明さんのコメントが一番納得できました。
2011/08/04
2011/08/01
お久しぶりの1日。
…てなわけで、今日は勝谷誠彦さんの小説『ディアスポラ』の出版記念パーティに行ってきました。
勝谷さんとの付き合いは10年以上になるのでしょーか。最近は連絡をとることもなくて、会うのも1年に一度あるかないかという感じで、私たち夫婦が行くのは少し場違いかもと思いつつ、お祝い事だからとノコノコ出かけていきました。会場ではお久しぶりの知人と会い、お互いの近状報告、つでに共通の知人の近況報告。
会では編集者の花田紀凱さん、カメラマンの宮嶋茂樹さん、麺通団の田尾さん、真鍋かをりさんが登壇され祝辞…というより、ほとんど勝谷さんとのかけ合い漫才で、とても面白かったです。真鍋かをりさんは気取らないとても感じのいい女性でした。宮嶋さんがいらしたので、会場を抜け出して本屋で最近出た写真集を買ってサインもらえばよかった…と気が付いたのは終わってから。とほほ。
笑い声の絶えないのんびりとしたいい会でした。
10年前に発表された小説が本になり、それがきっかけで様々な人が集まり、久しぶりの人とも会い…と、縁を感じるヒトトキでした。
そのあとこの日で閉店する赤坂麺通団へ。おなかいっぱい。たまたま近くの席に座った方が、このブログを読んで下さっている方でびっくり。悪いことはできません…。
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