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2008/04/24

祖母のこと。

昨日は会社帰りに映画を見て帰るつもりだったのだけれど、午後からどうも気分がすぐれずまっすぐ帰る事にしました。駅までの道をてくてく歩いていると、母から連絡があって、祖母が亡くなったと。

本来ならば夫婦そろって駆けつけるところ、誰も呼んでくれるなというのは祖母の遺言で、私も祖母から直接「私が死んでもわざわざ東京から来なくていい」と何度も言われていたことではあるけれど、「明日一番の新幹線に乗れば昼前には着くから」としばしやりとりがあった末、まぁいろいろ事情がありまして、今回は欠席。来月、親戚を呼んでの法事に大阪へ帰る事になりました。
今日、お骨になるというので、遠くから祖母をしのんでおりまする。

明治44年大阪生まれ。祖母の人生は、それはそれで、ちょっとしたお話にもなりそうなくらいのものだけれど、戦争を乗り越えてきた人は、多かれ少なかれ、何かドラマがあるものです。
私は二十歳の夏から27歳で結婚するまで、祖母と二人で、大阪は谷九に建つアパートに住んでいました。祖母が73歳から80歳までの間です。いろーんな事がありました。いろーんな人をみてきたし(いや、ほんと・・・)、私の人生において、一番社会勉強ができた数年間でありました。世の中には本当にいろんな事があって、いろんな人がいるのよー。そういう人が、これまた祖母のまわりには多いのだ。
夫と結婚したのも、祖母のおかげ・・・ではあるのだ。

祖父は昭和17年に亡くなったので、祖母は子供3人を抱えて、生きていくために様々な事をしてきた人でありました。私と一緒にいたときは、ずーっとお針仕事をしていました。祇園の呉服屋さんの仕事を受けていたので、芸妓さん、お茶の先生、噺家さんの着物がほとんど。福井の大きなお寺の娘の嫁入り道具の着物っていうのもあったなぁ。
3日に2枚のペースで(そのくらいでないと商売にならないらしい)、365日、ほとんど仕事をしていました。それでも押し入れの中には反物の山。
反物は縫う前に一度全部広げます。時々「シャーシャー」という気持ちのいい音が、台所を挟んで向かいの私の部屋まで聞こえてきました。「また大島?」といいながら祖母の部屋をのぞくと「見てみぃ、ええ大島やろ」と生地を見せてくれました。大島は縫い上げると肩がこって仕方がないとよくこぼしていました。

よく言えば自立心が高い、悪く言えばわがままで言うことがころころ変わって、おまけにずけずけものを言う祖母とは、なかなか一緒に暮らせる人がいなかったのだけれど、私とは7年間、ケンカもせず仲良く暮らしました。孫に甘いというわけではなく、なんつーか、知り合いと2人で部屋を借りて住んでるって感じ。お互いうまく折り合っていかないとねー。月に5万円の家賃及び電話代を徴収されてたし。
私が結婚するとき、父が夫に「教育もしつけも何もできていないけれど、あのバーさんと7年間一緒に暮らしたっていうのだけは本当にエライ」と言ってくれて、親戚一同大いにうなずいて、うーむ、私はそんな風に見られていたのかーと初めて気がつきました。

昨夜は帰宅しても、なんだか気分が落ち着かないので、最近買った市馬師匠の落語のDVDを見て過ごしました。
「猫の災難」「茶の湯」「真田小僧」「抜け雀」

「真田小僧」は前座で何度か聴いた事があるけれど、なぜ「真田小僧」というのかわかりませんでした。今まで聴いていた噺は実は途中までで、その続きがあるんですなー。うまいこと言って父親からお小遣いをせしめる子供の様子が最高。2回も見ちゃった。「茶の湯」もおかしい。派手な動きはないけれど、独特のテンポと間で聴かせて笑わせてくれまする。

例え自分が死んでもいつもの生活を崩さず続けてほしい、そっと消えていきたいというのが祖母の願いだったでしょうから、私は今夜また落語会です(笑)。市馬師匠が出るのだ。何をやってくれるのかな?

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コメント

明治44年というと、父方の祖母と同じです。
ご長逝、ご愁傷に存じます。

投稿: 筋鉄 | 2008/04/24 16:02

一度だけお会いしたことがありますが、会うなり
「彼はいるの?」
と予定通りのお言葉をいただきました。
・・・あのときに「いない」と言っておけばよかったと何度思ったことか。
ほんとうに味のある方でした。
ご冥福をお祈りいたします。

投稿: かんみ | 2008/04/24 22:49

うーむ、明治44年生まれですか。私の父親の母(つまり私のおばあちゃん)もその年に生まれており、まだ生存していますが、孫の私を誰だかわからない状況になっております。

明治、大正、昭和、平成と四つの時代を生きながらえただけでもすごいと思います。うちのばーちゃんは更に関東大震災と東京大空襲も経験している佐賀生まれの「がばいばーちゃん」です。

ご愁傷様です。合掌。

投稿: はるちか | 2008/04/24 22:49

おばあさまのご冥福をお祈りします。

ウチも明治38年生まれのばーちゃんがいます。
いっとき一緒に暮らしましたが、認知症がすすんで今は特老にいます。もう私が誰だか分からないですが、元気にしています。

あやこさんがおばあさまと一緒に住まわれていたときの
様子を読んで、私も祖母との生活を思い出しました。
ウチのばーちゃんも和裁が得意でした。
いつも針仕事をしていたなーって思い出します。

明治生まれの人は戦争もあったし、話を聞くと「ここに歴史あり」的な事が多いですよねホントに。兄弟も多かったりして、イロイロあり過ぎて、聞いてると「えーっと・・・」って混乱しちゃったりしますが(苦笑)。

投稿: hikaru | 2008/04/25 13:03

 謹んでお悔やみ申し上げます。 ただお歳を考えると天寿を全うされたともいえるかもしません。
 私の祖父母は既にずいぶん前に他界しており、自分の親の世代もそろそろといったところです。
 人生は80年とはいえ、人は黙っていても歳を取るものです。 一日一日を有意義に過ごして生きたいと思います。

投稿: しみず | 2008/04/25 23:16

みなさま。どうもありがとうございます。
祖母は苦しむことなく眠るような最期だったそうです。食事もとれていたので、やつれる事もなかったときいて、「痛いのはイヤだ、しんどい思いをするのはイヤだ」と言っていた祖母にとっては、よかったのではないかと思いました。

明治44年、1911年生まれという年回りの人は元気な人が多いような気がします。元気というかバイタリティーありすぎ。戦争を通り越してきた人たちに、今の私たちはかなわないなぁと思わせてくれる人でした。

投稿: あやこ | 2008/04/27 21:03

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