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2006/02/21

薄桜記@市川雷蔵

20060221_
脚本が伊藤大輔で監督が森一生(カズオ)で共演が勝新・・・というだけで、この映画についていろいろ話ができそうだけれど、私は雷蔵しか見ていないので(笑)。
27,8歳から30歳くらいまでの雷蔵って本当にきれいだ。若さの中に妙に老成したところがあって、すんごーく好き。

ものすごく乱暴に雷蔵中心にあらすじをいうと・・・

若き旗本、丹下典膳(雷蔵)が公用で京へ旅立った間に、新妻が5人の男に陵辱されてしまう。妻を愛するが故に彼女を離縁し、妻を辱めた男達への復讐を誓う典膳。妻の兄に片腕を切り落とされてしまった典膳は江戸から姿を消す。浪人となり再び江戸に戻ってきた典膳は、敵に片足を傷つけられ、片腕、片足の状態で、最期のたたかいをいどむ。
ラストシーンの雪の中での立ち回りは、悲壮ではあるけれど悲惨ではない。あくまできれいに。斬られて斬られて血で血でドロドロっていう見せ方もあるけれど、それじゃぁ雷蔵の映画になりませぬ。
若き勝新が演ずる堀部安兵衛(彼も重要な役割で、そもそも典膳と堀部安兵衛との出会いがお話しの発端なのだ)との心のつながり、最期まで愛し合う夫婦、そこに忠臣蔵の討ち入りがからんでいくという、なかなかおもしろい組み立てなのだ。

この映画で雷蔵は心正しき端正な若き旗本から、妻と片腕を奪われ心の葛藤に苦しむ浪人姿をきれいに演じわけていて、とくに片腕姿になってからですがね・・・いいんだわ。
運命に翻弄され、落ちていく男の姿を、これほど美しく魅せる役者が他におりましょうか。死に近づけば近づくほど透明になっていく。傷養生をしていた米沢の湯治場から駕籠に載って江戸へ戻るシーンの典膳の美しいこと。江戸に戻るということは死ににいくということ。迫り来る死の影を漂わせる横顔は神々しくもありまする。
正統派時代劇。ぜひご覧あれ。

当時の映画は隔週2本立て興行っていうのが基本だったそうで、そのために映画が量産されました。プログラムピクチャーってやつ。
雷蔵はプログラムピクチャーの映画俳優で、だから毎月のように映画に出ていたわけで、会社に言われて出演してるって映画がほとんどだろうし、はっきり言って雷蔵の出ている映画は娯楽作品、B級かB級の上ってところだと思う。私はそれでいいと思う。だってさー。80分間の夢をみせてもらっているようなもんなんだもん。それにゲージュツもいいけど、映画はやっぱり面白くなきゃ。
量産されたからこそ、当時の映画界には人が集まり、スゴイ映画が生まれたわけで、だって公開当時、この『薄桜記』は小津安の『浮草』との2本立てだったんですよー。このレベルの映画が平均、当たり前だったってこと。信じられん。

邦画の監督というと小津、クロサワ、溝口、最近話題の成瀬ってところばっかり注目されるけれど、例えばこの映画を撮った森一生とか、最近気になって仕方がない三隅研次なんつー、プログラムピクチャーの監督も、もっと注目されていいと思う。
増村保造なんかもいいしね。大映の監督ばっかりだけど(笑)。

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