寝ても雷蔵、醒めても雷蔵(笑)
ここんとこ私の頭の中は市川雷蔵でいっぱいだ。去年の暮れからいきなりハマってしまった。気合で夢の中にも登場させるので、本当に「寝ても雷蔵、醒めても雷蔵」だ。CSの時代劇専門チャンネルでは『眠狂四郎』を12週連続放送中なので、それをDVDに録画してヒマがあると見ておる。昨夜も『眠狂四郎円月斬り』を一人で楽しく見ていたら、珍しく早く帰宅した夫に見つかってしまい、「現実逃避じゃないか。いいかげんにしなさい!」と怒られてしまった。ヨンさまに走るおばさまの気持ちがよくわかる。雷蔵の方がいい男だけどさ(笑)。
いや、まったく雷蔵はいい男なのだ。どんな役をやっても迎合せずキレイで透明感があって知性があって、背筋に決して折れない一本の鉄の棒が入ってる。目の表情がよくて、見ているだけでくらくらしますですよ。そして前にもちょこっと書いたけれど、後ろ姿がゾッとするほど色っぽい。
で、もっぱらCSで雷蔵の映画を見ていると、1950年代から60年代にかけての大映(一発で変換しないぞー。大映って言葉はもう死語?)映画を見る機会が多くなって(雷蔵は大映専属だったので)、この映画会社も面白いなーと思うようになってきた。作り手に勢いがあるというか、娯楽に徹してるというか。若かりし頃の田宮二郎、天知茂なんていいぞー。勝新はアクが強すぎて私にはちとしんどい。監督なら三隅研次。
池波正太郎が『ヒッチコックと黒沢明』という文の中でこういう事を言ってる。
自分にとって一番の監督はウイリアム・ワイラーだといって・・・・
『どうしてかというとね、ワイラーという監督は深刻な芸術ドラマをだれが観てもわかるように撮る。そこが偉大なんですよ。ヒッチコックの場合は何も深刻な芸術映画というのを撮ってないでしょう。ウイリアム・ワイラーの場合は、それを撮っていて、しかもだれにもわかるように観せたというところが本当に偉大だと思いますね。』
『一般のお客はね、金を払って二時間も暗闇の中で、たばこも吸えず、コーヒーも飲めず、椅子に縛り付けられて映画を観るんだよ。そういう人のことを考えなかったら駄目だ。それでなかったら映画芸術というのは成り立たないんだから。何が何でもおれのを観ろ、という芸術じゃないんだ。とにかく資本がなきゃできない芸術ですからね、小説と違って。』
私は池波正太郎のこういう考え方が好きなんだけれど、市川雷蔵の映画を見ていると、この言葉の意味がよくわかるのだ。雷蔵はいつも観客の方を向きながら映画に出てた(それは見方を変えれば『見られる自分』ってのを強く意識してたってことなんだろう)。何より私が一番好きなのは、雷蔵のそういう姿勢なのだ。
まだまだこれからっていう時に、本当に若くて亡くなって、どんなに無念だったろう。
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コメント
美人(男?)薄命。
現実逃避、たまにはしちゃいなさい。
大変だよね。心身ともに。
投稿: えみこ | 2006/02/01 16:57
えみこさん、こんばんはー。コメントありがとうございます。
市川雷蔵だけが今の私の心の拠り所でございます。
今夜も夫が帰ってくる前に、しっかり『眠狂四郎』を見てしまいました(^^)。
投稿: あやこ | 2006/02/03 00:31