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2005/04/09

映画『張込み』。大いに語る。

映画監督の野村芳太郎さんが亡くなりました。監督や制作された映画をみると『砂の器』や『鬼畜』『事件』『八甲田山』などなど面白い映画がたくさんあるけれど、私は中でも『張込み』が一番好き。

(以下ネタバレ大いにあり)
原作は松本清張の短編。東京で殺人事件を犯した犯人を追って、二人の刑事が佐賀まで行く場面から映画は始まります。昭和30年代のはじめ、東京から佐賀までは遠い。一昼夜かけて急行列車で向かうその車内の様子が延々と続きます。それがもう、すんごーくいいのです。初めてこの映画を見たのは、つけっぱなしにしていたTVで。勝手に始まったのを何となく見ていたのですが、この場面で一気に気分が盛り上がってしまいました。
この映画のテーマは様々な形で、人と人の間に横たわる『距離』(だと思う)。最初に東京と佐賀の「距離感(遠さ)」を実感として観客に見せているところがうまいっ。
佐賀には犯人の別れた昔の女が暮らしています。犯人は彼女に会いにくるのではないか。今は吝嗇家の銀行員の後妻となったその女性の家の前で刑事は張り込みを続けます。張り込みされる女性役が高峰秀子。張り込む刑事役が宮口清二に大木実。しぶいよねぇ。
刑事にもそれぞれ「家庭の事情」があって、淡々と生活を続ける地味な女の高峰秀子を観察しながら、彼女の姿に自分を重ねてしまったりもするわけです。後半、話がどどどっと動くのですが、ようやく接触してきた犯人を前に、今までの姿とは180度違う情熱的な女に変わる高峰秀子がいいのよぉぉ。そうなると男はダメですね(^^)。
ラストシーンがこれまたすごい。逮捕した犯人を連れて刑事が東京へ向かう。乗る列車は急行西海。改札が始まって犯人と刑事がホームの向こうに消えていく。その場面に構内放送が重なるのだけれど、なんと佐賀から東京までの停車駅を全部アナウンスするのですね。これはオープニングとつながっていて、ここでも距離感を見せているわけ。犯人が事件を犯してしまったのは佐賀(田舎)と東京(都会)の差(距離)であり、刑事が抱える家庭の事情も根っこは家族や恋人との間にできた距離にあり、高峰秀子の中に存在する吝嗇家の夫に使える妻と情熱的な女の間にも距離がある。
そーんな事を思わせながら構内放送が終わると画面が横に移動して、そこに急行西海が入線してくるという・・・もうゾゾゾときますです。音楽も妙な魅力があって、映画に合っているんだかいないんだかよくわからないけれど、映像にベタッと貼りついている感じ・・・と思っていたら黛敏郎でした。やっぱし。
鉄ちゃん的にも楽しい映画で、他にも昔の佐賀駅や市電、いまだにロケ地不明のローカル線、ボンネットバスと大いに楽しめます。

あー。大いに語って満足じゃ(笑)。
野村芳太郎監督の撮った映画は「映画らしい映画」だと思う。映画だからこそ出来る事って大いにあるわけで、それをきちんとこなした人なんだろうなぁ。
CSで野村芳太郎の特集やんないかなー。

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